姑 バトルは1度だけ

結婚してすぐに悲しくて悲しくて、家に帰りたくなくなって。

誰と結婚したのかも分からなくなった。


私の中からスイスイすいとっていっては、ゴミ箱に捨てるかのように…。

行動力 思考力 判断力 決断力 

食欲 意欲 物欲 …


気力がおきない。


自分じゃない。


離婚さえも考えられない。


姿も声も足音も感じたくない。


こんな感覚、人に対して初めて感じた。


私は喧嘩をする家庭で育ってはいないし、おとなしい性格だと思っていた。


結婚8年目に事件は起きた。


長男ソラが小学1年生になってからの出来事。

学校の事で先生から電話があったのに、私に変わらずにこうして下さいと対応してしまった事に対して

腹が立ったのだ。

細かいことははっきり覚えていないが、学童保育に行くか行かないかのこと。

親が決めてる事に対してなんで祖母が私達の意見も聞かずに先生に話してしまうのか理解不可能。


姑 「私はこう思うから先生に言ったの、だからあなたは…………………………………………………」とっても長い


私 「こう思うからそうしたんです。そういうのやめて下さい」短い

けど勇気をだしてはじめての反発だったような。


姑 「あなたはね…………………………………。」長いから自分のエリアに行こうとしたら 後ろから付いて来た。

「逃げる気?」

私の肩をトンっとたたいてきた。



振り返った私は、姑の手が肩にきたのがとても耐えれなくて、今までの感情がでてしまった。

その手を振り払い姑の肩をドンッと押した。

怒りがマックス


私 「近くにいるだけでも嫌なのに、何もかも耐えれないんですー!!もうやめて下さい!」

あとにはついてこなかった。 ホッとした。




これだけ耐えれないって言うのを姑に言えてスッキリしたが、子供に聞かれていたのは少し後悔している。


あの時、喧嘩していたよね〜。


もうやめてよ〜。


と今では笑える。


あの時は震えるほどの怒りで心臓が爆発しそうだった。


人に対してここまで反発して言葉に出して言えたことはない。


その時はドキドキだったけど、今は言って良かったと思える。


この一度のバトルがなければやられっぱなしだったから。



今は、病棟のベットの上。2年前の夏に病気がわかり具合が悪くなってからは、家、病院、施設の繰り返し。


憎き嫁の事は覚えているのかどうかわからないが、お見舞いに行ったらありがとうと言ってくれる。


もう私の愚痴も聞かなくなった。


どこまでも自分勝手だなと思った。


身体が動かなくなって私達に面倒を見てもらうようになってから一気に態度が変わった。


今まで私にしてきた事の理由聞きたいような、最後まで憎き嫁にしてほしかったような。


あの攻撃は何だったのか。ただその時だけの気分だったのかな。気分だけだったらなくてもよかった時間。


悪夢だったのかも。



あ〜モヤモヤ モヤモヤ モヤモヤ …。

驚異のノニでパワーUP⤴️⤴️

昨日、長男ソラが足が痛いから消毒液出してーーと風呂上がりにやってきた。


はい、どうぞ。


乾いているから意味ないってーと消毒液もどしにきた。


じゃ、病院でもらったリンデロン付けたらすぐ治るよ!と付けようとした。


が、とても痛そう。触ったら痛いから自分でするよと息子。


先週火曜日に鬼ごっこして膝小僧怪我したって、もうとっくに治っているかと


思ったらカサブタが膝一面に、よーくみたら皮膚が陥没している所が……


ただ事じゃない。




リンデンなんか塗れない…


どうしよう…


あっそうだ‼︎ノニジュースだ。


ガーゼにノニジュース付けてラップして💤


今朝、スッカリ忘れていた。


そうそうラップ剥がしてみよっと。


陥没していた皮膚が再生して白く盛り上がっていた。


すごいーすごいよーー。


火傷にもいいって書いてあったからしてみてよかった。




去年からなんだか調子の悪い、めまいなどがあったから飲んでみたら良くなったので


今は母にも飲んでもらっている。


パーキンソン病特有の便秘にもいいみたい。


精神的にも落ち着くようなきがする。


まずいけど、グッと飲めばのめなくもない、娘はたまに飲む!と言う。


ただ、健康マニアの私にはこれはいいと思えるもの。


石の癒のノニジュース。


ちょっとお高いけど、もういい年、まだまだ子育ては続く私には必要なもの。


と思って飲んでみようかなと思ってます。


成分がすごいです↓

父の昔ばなし

昨日、父から貴重な話を聞いた。


何度か聞いたこのある話は、この2つ

・北朝鮮で生まれたということ

・母親と父の兄と3人で歩いて釜山までいって船で日本に帰ってきたこと


左官の仕事をしていた祖父は、祖母と結婚してすぐに北朝鮮に行きそこでも左官の仕事をして暮らしていたらしい。 そうなんだ〜

その頃は、日本人が沢山働きに行っていた。 フ〜ン

父の兄は、父より4歳年上でまだ他に5.6人兄弟がいたみたい。 ビックリ!

で、父は下から2番目みたいで、単純計算で祖父祖母は10年くらい

北朝鮮で暮らしていたことになる。 凄いーーーーー‼︎


父は昭和16年生まれ

戦争に負けそうになったから3歳くらいの時に3人で帰って来た。

薄っすら帰る途中の記憶はあるらしい。 痛生々しい〜話

祖父はどうしたの?て聞いたら

召集されてシベリアの方で働かされていた。

比較的早く日本には帰ってきたみたいだけど

どうして、どうやって帰ってきたのかは分からないって言っていた。



祖父の記憶はは左官の仕事をしている姿

カブをいつもピカピカに磨きながらのタバコ。


祖母はうちに来ては母とよくモンペ姿でしゃべってた。

とっても元気がよくって、可愛いお婆ちゃんだったな〜と思い出す。

マヨネーズがまだ売っていない時に自分で作っていたらしい。



父が珍しく話をしてくれた。

よーく考えたら、

お昼、連ドラ「まんぷく」がしいてその解説をしてくれた。

その後に、昔ばなしを色々語ってくれた。

連ドラが大好きな父にとってその話が出来た満足感で調子が出たのかな^ - ^